ナオルヨブログ2019

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被曝医師の証言~心に刻まれた秋月辰一郎先生の言葉

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もう嵐も、原爆も、それを同じ人間に投下したアメリカをも恨まなかった。それは屈服ではない。

ただ、誰かを恨むことによって次つぎと起こる心の崩れが怖いのである。

「誰がわるい、何がわるい、あのとき、爆弾が長崎に落ちなかったなら・・・」

果てしなく人を恨む心の崩れが何よりもこわかった。

骨身を打ち、容赦なく口の中に流れ込む雨のなかで、何物にも耐えていかねばならなかった。


(秋月辰一郎著 長崎原爆記  被曝医師の証言 「平和文庫」シリーズ p.162より転載)



昨夜、この一文を読んで、身体が震えました。まさに、今の自分の心の中を表すかの言葉だったから。


浦上第一病院(聖フランシスコ病院)には当時、70名の入院患者と看護婦などがいたそうです。
次々と運ばれてくる重症者を残して、医師は逃げるわけいかなかい、という責任感の強さだったのでしょう。

だれかれ不満をぶつけたとしても、不足する治療用具や寝る場所、食べ物が手に入る訳でもないと、何の解決にもならず、かえって、自分自身が壊れていくことへの危機感のほうが強いほど、まだ、日本人に武士道というか、倫理や修身といった気骨を持った精神年齢の高い人々が多かったように感じました。


秋月医師は、キリスト教徒ではなく、浄土真宗仏教徒だったそうです。
病院に関わるほとんどの人がキリスト教であり、「神は、天主は浦上の人を愛しているがゆえに浦上に原爆を落下した。浦上の人びとは天主から最も愛されているから、何度でも苦しまねばならぬ」といった考え方にはついていけない、と記されたほど、秋月先生は孤独ながらも、精一杯、目の前の人々に愛の手を差し伸べ、時に暖かく、時に厳しく、時には嘘も方便と、心で涙を流しながら、次々と尊い命を失っていく顔なじみの人々に、できるかぎりの言葉と手当てをし続けたことが、細かに描かれていました。



「みみず花をみず、ねずみ星をみず」


「被災地に住み慣れては低い戦災者根性に引き下げられて、高く美しきものが見えません。
原子爆弾によって私というものが一面においては高められたことは事実です。

しかしその後の戦災者生活によって他面汚されたこともまた否定できません。
この汚れた戦災者根性が、爆心浦上の再建に禍を及ぼしていることも疑いありません。
汚れを気にせず、低きに甘んじている私らに、どうして新しく明るい文化を造り出す力がありましょうか?」

「口を開けば戦災者だと叫ぶ、原子爆弾にやられたんだと自慢顔に言う。
けんかに負けたことが何の自慢になります?
彼も人間、我も同じ人間。知恵と努力が足らなかったから、原子爆弾でやられたのではないですか?」

「世界戦争の終止符となった爆心点という意味で外人は毎日見物にきている。しかしこの雑草荒るがままの荒野は我ら浦上人にとって恥でこそあれ、誇りではないのです。

浦上人が誇ることができるのは、、、、この雑草を刈り取って香り高い文化の都を建設した暁のことです。」

(同書 p.232より転載)


大きな地震が東北太平洋震源で起こることは、多くの人が知っていた。特に、宮城沖などの空白域は、有名な話で、福島市に避難用のマンションを購入している仙台の人が少なくない、という事実にあらわれている。

福島原発の事故、人災、放射能が陸海空すべてを汚染して、地球全体に死の灰の不安と恐怖が広がっていることについても、そうなるであろう、という事を多くの人が知っていた。


「うつくしま、ふくしま」と呼び、豊かな自然を愛し、誇りにしてきた人々がたくさんいる。
でも、その危険性、環境汚染につながって、子ども達の未来を奪ってしまうかも?というリスクを知っているのに、知らない振りをしてきた、隠してきた人達もたくさんいる。

原発の爆心地周辺の(政財界の)人達は、毒まんじゅうを食べてしまったかもしれない。
それは、原子力発電以前から、ダム建設(水力発電)や林野行政(広葉樹伐採+針葉樹植林)による森林や清流の大規模破壊や生態系の崩壊につながることを知っていても、同じく札束に目がくらんで、先祖代々が守り抜いてきた山や川、緑のダムを破壊し続けている。

農薬や化学肥料によって農地から微生物や昆虫たちが消え、高圧電線や携帯アンテナによって大型動物からハチ達、さらには、樹木(立ち枯れ)までが生命力を失って消えようとしている。

人よりイイ生活、便利で格好いい暮らし、他人に頼らず機械と化石燃料で独り占めしたい根性。
低い被害者根性に引き下げられては、高く美しきものが見えない、という秋月先生の言葉に、何か感じるものがある人も少なくないはず。



気づきのための困難であること。
それをしっかりと肝に銘じて、覚悟して、まさに「日本人が誇ることができるのは、、、、この雑草を刈り取って香り高い文化の都を建設した暁のことです。」と、宣言することから、本当の意味での復興が始まるのだと思います。


雑草とは、人々の強い欲によって、自然環境との共生、おかげさま、ありがたい、もったいない、みっともない、助け合い(結い)、多生の縁、など、たくさんの失われつつある「和人の美」、目に見えない誇りや尊さ、格好良さ、八百万の神々に感謝をして、生かされている、という謙虚さを、今一度思い出して、その強い欲を刈り取ることなのだと感じます。


赤峰師匠は、この世に「雑草」という草はない、「神草」だとおっしゃいます。
この世のすべてのものは必要があって、その命を他力のために捧げているのが草木花で、霊性がとても高い命だと聞きます。薬という字も、草冠に楽になる、と書きます。植物はそもそも薬用なんでしょうね。


秋月先生が残してくれた言葉の数々は、きっと、これから、この福島、日本、そして地球の未来に、明るい光を照らしてくれる、と心から願っています。是非、ご一読ください。


私たちの願う香り高い文化の都、電磁波や化学物質に依存しない、すべての命と自然に共生したコミュニティへの道筋は、健全な心身があってこそ歩めるのだと思いますので、まずは、(しつこいようですが)玄米菜食で生命力と免疫力、霊性を高めて、その時に備えていきましょう!(いけや