ナオルヨブログ2019

心穏やかに、心地よく、愛と自由と平和に暮らしましょう〜新しい5次元地球で永久に共に!!

科学的根拠と再現性と因果関係~原因不明じゃ治せるわけ無い!

大切な愛車の調子が悪い。

修理に出したメカニックが、症状を伝えても、原因がわからない。

とりあえず、部品交換してみましょうか?

なんて言ってくるメカニックに、愛車を預ける人がいるだろうか?



プロだからこそ、腕利きのメカニックだからこそ、エンジンかけて、ボンネット開けて、少しふかして、ちょっと走ってくれば、「どこが悪いですねぇ、こういう乗り方しませんでしたか?」「変な燃料や添加剤入れませんでした?」とか、「この部品が劣化した結果、ここがこうなってしまったようです。」と、しっかり本人もトラブル原因を自覚して、実際に修理したら、最高のコンディションに戻る。それがプロの仕事だと思います。



インターネット上に流される不可思議な医学的情報や、お医者さん、看護婦さん、薬屋さんなど、医療関係者を善悪決めつけてどうこう言うつもりはありません。

皆さん命かけて、寝る間も惜しんで、救急救命して下さっています。健康被害者の一人かもしれません。



このテーマで私は、肉体のオーナーである人間の意識について、不思議というか、無責任に感じることが多くなった、ということが伝えたいのです。




私は現代科学というジャンルが、経営学帝王学、心理学、はたまた哲学に感じる場面に良く出くわします。


原因不明の病気なのに、なぜ薬があり?治療法があるのか?


原因が特定されずに、たまたま結果が出て、発見されたのか?


再現性とは、因果関係が明確になり、誰もが同条件で再現できることで信憑性が高まり、科学的根拠とされるのではないか?


さらに言えば、原因が特定されてしまうと誰かが困ってしまう病気や症状があるとして、例えば、乳ガンや子宮ガン、前立腺ガンにしても、その腫瘍に含まれる成分を調べれば、ある程度の原因(発がん性物質・有害化学物質・残留ホルモン薬etc)特定ができるにも関わらず、なぜ、原因不明とブラックボックスに閉じ込めたまま、なにを根拠に切ったり貼ったり、薬物依存や電磁波照射するのが正当化されてきたのだろう?



病気になるのではなく、病気にされるような気がするのは気のせいなのか?




原因不明のまま、なぜ、他に責任を負わせて、自分は見て見ぬ振りしながら、運が悪い被害者のような意識で、「健康診断で病気が見つかっちゃたよぉσ(^◇^;)前の日は飲まないで我慢したのに。まぁ、保険があるし、できるだけ早く、楽に、悪いところ全部治してください、いらなきゃ取ってもいいです。すぐに元気にならないと困りますから私。」みたいな意識でやり過ごそうとしてませんか?




原因不明のまま、なぜ、どんなものを食べて飲んで、何時に起きて、どんな1日を過ごして、どんな気持ちや感情で、何を求めて生きてきたのか、すら聞かれずに、思い起こさずに、「なんだよ、こんな時に病気になんてなっている暇ないのに。痛くて苦しくてしょうがないんで、最高に効く薬とか注射とか無いんですか?」みたいな意識が当たり前だと思ってませんか?



原因がわかれば、結果は良好になります。その後、二度ととは言いませんが、心や体へ意識を向けるようになり、無茶することがなくなり、重症化する前に養生するため、致命的なことも未然に防げるようになります。体も車もそうです。



逆に、原因は知らない、原因がわからない?、と言われたなら、別な人に原因を尋ねるようにしなければ、原因不明のまま、とりあえずマニュアル通りにやっつけられて、多大なお金と時間と気力を失う可能性があります。



私なら、原因を一緒に追求して、二度と起こらないように導いてくれる人や情報を、とことん探します。探して見つからなければ、自分で原因をとことん見つけるために全力を尽くします。やるだけやってダメなら納得できるし、気持ちも晴れやかかと思います。



私のものさしでは、原因が突き止められない人に、その大切な愛車(心と体)を治せるわけがありませんから。

原因となる何をしたのか一番良く知る自分が、その未熟な愚行に気づけないことは、人生において最大の損
だと思います。